43. マチネの終わりに
映画の予告で何度か見ていて興味はあって。見に行けずじまいだったけど…。
ですが、配信で山科さんが、言葉の一つ一つが、綺麗なんだよねぇ。とおススメされてたので速攻で買って読んでみました。
468ページと中々の長さ。
苦戦ほんのりしつつも読み切りました。
イラク戦争、ジャーナリスト、アメリカ人との離婚、ファーバスもなってたPTSD、切な過ぎるすれ違い、芸術について、パリ…。
などなどとにかくさまざまな要素が詰まった1冊でした。
⚠️注意以下ネタバレ⚠️
切ないすれ違い。ああ、あの1通のメールさえなかったら。み、三谷〜〜〜。そこまでして彼が欲しかったのかーーー。
そんなことして一緒になって苦しくなかったのか…。
開き直りなのかなぁ。
いやはやはや。
ここからは、気になった部分をピックアップしていく。
寂寥(せきりょう)…心が満ち足りず、物寂しいこと
初めて聞いた日本語だった。覚えよう。
歓喜と悲哀とが綱引きをしている。
何だか物凄くわかる表現。一本続きなんだよね。
この物語を通して、1番不思議というか引っかかった文がコチラ。
人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。
物凄く、新しい考え方だったの。
今までは、過去は変えられない。だったら未来をどうするか、というのがあった。
よく聞くフレーズで、
過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分。
ってあるし。
ティモンも過去は変えられないって言ってるしな。
思い込みは良くないね。
つまり、今回出てきた文の個人的解釈は。
過去の出来事自体は確かに変えられない。でも未来の行動によって、過去に起こったことがどうだったのか変わる。みたいな意味なのかなあと。
例えば
過去の失敗も、そこから何か掴んで活かせば。過去は肯定的なものになる。
そういうことなのかと感じました。実際はもっと違う捉え方があるのかもだけど。とにかく考えさせられる一節でした。
イラクのバグダッド滞在していた洋子が、間一髪で、本当にあと1分長くその建物に滞在してたら死んでた。という状況を振り返っての言葉
なぜ、わたしはあそこで死ななくて、今生きているのか。
こんな風に感じて生きている人ってきっとたくさんいるのだろうなあと。
何故あの人がなくなって、自分は生きているのか、わからなくなる時って誰しも考えることあるのだろうか。
自分は生かされている。
そうなる運命なのか。
何だろう。
唾棄だき…つばを吐きかけたくなるほど、忌み嫌い軽蔑すること
初めて聞いた言葉だったこれも。
つまりはエスメラルダ。
老いに対する決して勝つ見込みのない戦い
こ、こえ〜…。その通りなのだろうけど。怖いわー。きっと将来我もその戦いに踏み入れるのだろうなあ。
相手のことを心から愛せないという以上に、相手と一緒にいる時の自分を愛せない
結婚て何なのだろうか…。と考えてしまう一節。
そんなこんなでアメリカ人と結婚するけど結局離婚する洋子。そこで驚いたのが子供の養育について。
日本だと親権が片方に与えられて〜もう片方は養育費出す〜とかそんな感じのはず。
でもアメリカだと片方だけが育てるのでないみたいで。子供が一週おきとか1ヶ月毎とかで父母を行ったり来たりするみたい。
親にとっては一定期間会えるの嬉しいかもだけど子供にとってはどうなのだろう。父母それぞれの家が近ければいいけど離れていたら?移動もそうだし、学校とかどうするんだろ。
てか近いと再婚したときとか何か色々気まずそう。それはどっちにしろかもか。
まあ、色んな家族のカタチがあるということかな。
最後の最後に、2人は再会するわけだけど。どうなるのか…。良き友人として付き合っていくことになる、のかな。
それとも芸術家とファンの関係?
それは読み手に委ねられている。広がり、含みのある終わり方でした。
映画はもう期間終わっちゃったみたいね。
DVDなったらぜひ見たい一本。
もっと読み込まないとわかりそうにないなー。
ひとまずはここまで。
山科さん、素敵なお話ご紹介ありがとうございました。